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昨日の深夜、「哲子の部屋」って番組を見ててとても面白かった。
新感覚哲学バラエティー『哲子の部屋』 - Togetter
ファイトクラブの主人公はなぜ幸福そうじゃないのか。
というような問いかけに始まり、最後まで見てしまった。
消費は際限がないけれど、浪費は満足すれば終わる。
消費は、大量生産時代に生み出された概念だとか。
enmono的な文法で言うと、マイクロモノづくりが目指すのは、まさに浪費商品。
それは、満足を生み出し限りあるものを大切にし、幸福感を提供できるようなものなのだろうと思ふ。
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最初に世のデザイナーさんへ謝っておきます。
デザイナーでもなんでもないただの人が勝手な解釈で、デザインについて思ったことを適当に書き連ねたもんです。
自分の勝手な解釈では、デザインされたもんってわかりやすくなってる気がする。
いいものか悪いものか。
だから、デザインの力で騙されるということも多々あって、これはデザインの悪用なんじゃないだろうか。
ものばかりじゃなくいろんなシーンで出くわす。
駅の案内や、機械の操作やお家のレイアウトや衣服など、すべてがそうなのかな。
デザインされてなさそうでわかりやすいものって、一番デザイン能力が高いんじゃなかろうかって思ふ。
わかりやすくっていうことは、受け手に対して伝わりやすくしているってことで、コミュニケーションのとり方がうまいってことなのかな。てことは、人間心理を理解しようとしてるのだろうし、マーケティングもデザインといえるのかなぁ。
すべての仕事は、デザイン的であるというと極論かもしれないけれど、人と関わらない仕事ってないから、デザインの要素が多々あるように感じる。
仕事してないようなのが一番仕事してるのかなと最近特に思う。
デザインされてまっせと言われると、逆に興ざめしたりして。
あらためて考えると、目に見えるところではないところなのかな。
第六感まで含めると、視覚は1/6だから、他の5つの感覚に訴えかけるデザインもされてるんだろう。
体で感じることって目で感じる以上のものがあって、それら全てというと、デザイナーって大変なお仕事なんだな、と改めて思ふ。俺には無理。
自然の造形なんて、素晴らしすぎるデザインかもしれない。人間の営みは追い求めても一生追いつけない。
だから日々精進する。
美しいというのは、美しくしようとしていないのだろうし。でも美しい。
醸しだすものって、それもデザインされてるというのだろうか。
よくわからない。
不器用で絵もかけないし、造形も出来なかったりする人間が、デザインを語っても良いのかと思うけれど、使ったり触れたりする目線で、そう感じるのは事実だし、いいと悪いは瞬時に見分けられる。
主観的で客観的ではないものかもしれないけれど、なんとなくある。
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今朝方、このブログを目にして思いついた妄想話。
アジアの家電業界は日本人対決 | レジャーサービス研究所(東京&上海) - 楽天ブログ
日本の生産技術者が世界に散らばって、世界中のモノづくりのレベルを底上げしているらしい。
同じ品質ならば、より安いものがいい。
しかし、同じ価格ならば、より良い物のほうがいいはず。
ならば、世界で最も生産コストの安い国で、日本的なモノづくりが普及してしまうと、世界で最も安いものができてしまう。しかも日本人が監修したレベルのものが。
世界が日本化してしまうと、ほぼ同意ではないだろうか。
日本的な感性を持つ人材がいなければ、世界中でモノが作れない時代が来るはずである。
なんていう妄想でしたww
追加
こちらのブックレットの内容も、妄想話に通ずるものがある。
電子ブックレット(製造マネジメント):トヨタが気前よくカイゼンを教える本当の理由 - MONOist(モノイスト)
追加2
こちらのブックレットの内容も、妄想話に通ずるものがある。
日本流を教えこんだ技術者が世界中に散らばり、世界が日本化していくことを後押しする。20年後のモノづくりやビジネススタイルは、日本流になっていくのではないだろうか。
ルネサス、エルピーダ失墜で、技術者の海外流出が止まらない | ビジネスジャーナル
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金スマ見ていたら、サバン症候群の方が出演されていた。
非凡なる才能を発揮されていたけれど、当人にとっては、普通のこと、それも楽しいことらしい。
楽しいこと、普通のこと、当たり前のこと、これが非凡なことにつながるのではないか。
自分も好きな事をしていると、食事も忘れ、寝ることも忘れ、没頭している場合がある。
そういったことは、他の人からすると、非凡なことに映るのではないか。
非凡なことをしようとしてるのではなく、ワクワクし続けようとしているだけである。
無意識にしつづけている、ワクワクがあふれだす、そのあふれだしたこと、ここに価値がる。
付加価値は、満ち足りてあふれ出たところにある。
満ち足りてないところには、価値は生まれないのだと思う。
製品に価値がないのは、きっと満ち足りていないからなのではないだろうか。
製品が商品になって売れていくために、つくり手の思いだけでは不足なのだろう。