UCCHAN-BLOG

株式会社enmono技術担当取締役で自社製品開発講座「zenschool」やってる人。モノづくりと禅に関係性がありそうと言うような感性をお持ちの方とは仲良くできるかもしれないです。論理的ではないと忌避感をお持ちの方とは話が噛み合わない気がします 笑

私という人間の取扱説明書 - 「浮浪雲」と「スポ根」が共存する矛盾なき世界

はじめに:矛盾という名の豊かさ

高校時代に漫画『浮浪雲』と出会い、主人公の雲さんの「小事を気にせず流れる雲のごとし」という生き方に深く感化された。それ以来、社会的に称賛される「暑苦しい頑張り」に対して違和感を抱き続けている。

ところが、である。

同じ私が、炎天下のテニスコートで汗を流し、技術向上に没頭することを心から「好き」だと感じている。客観的に見れば、これはまさに『スポ根』的な光景そのものだろう。外的制約を嫌い、自分のペースで生きることを重視する『浮浪雲』的な価値観と、規律ある練習や努力を重んじる『スポ根』的な行動—一見すると矛盾している。

しかし、この矛盾こそが私という人間を理解する鍵なのだと気づいた。この記事は、そんな一見相反する要素が、実は一つの統合された世界観の中で美しく共存していることを描いた「取扱説明書」である。

第1章:『浮浪雲』という基盤 - 意味に忠実な自律的存在

内的羅針盤への忠実さ

私の基本的な思考スタイルは「意味駆動型」だ。自己分析の結果、私は「構造思考×意思主導×自律型創造者」という特性を持つことが分かっている。行動のトリガーは外部からの命令や社会的期待ではなく、あくまで内的な羅針盤—「自分が面白いと感じること」「意味があると納得できること」—にのみ反応する。

活動の価値は、その活動が内包する「意味」や「納得感」によってのみ測られる。逆に言えば、それらが欠如した環境では極端にエネルギーが枯渇する。「無意味な場所に置かれると極端に消耗する」「興味がないことには極端にパフォーマンスが下がる」というのは、この意味優位の原則がもたらす必然的な帰結だ。

戦略的な資源配分

浮浪雲』の「漂泊」は、目的のない放浪ではない。それは、意味のある場所を能動的に探し求め、意味のない場所から戦略的に離脱する、極めて目的意識の高い航海である。KPI主義やルーチンワーク、他者基準が支配する文化といった環境を避けるのは、単なる好き嫌いの問題ではなく、自己の創造性を維持するための生存戦略なのだ。

自己の最も貴重な資源である注意力とエネルギーを、自らが構築した意味のフレームワークに合致する対象にのみ投資する。これが私の基本的な生き方の哲学である。

第2章:『スポ根』への共鳴 - 選択された構造への没入

なぜテニスなのか

では、なぜ外部から与えられる規範を厭う私が、テニスという厳格なルールに支配された世界に惹かれるのか。その答えは、『スポ根』の社会的・道徳的側面ではなく、その「構造的」側面にある。

テニスは、明確なルール、即時的なフィードバック、測定可能な進歩が存在する、完璧に閉じられた論理的宇宙を提供する。この閉鎖系システムは、私の「構造思考」という強みが最大限に活かされる理想的な実験場となる。社会という複雑でしばしば非論理的な世界とは異なり、テニスコートは努力が技術向上に直結する純粋なメリトクラシー能力主義)の空間だ。

暗黙知形式知化という喜び

私は「暗黙知形式知化」—感覚的な知見を構造化し、体系的な知識へと変換する—能力を持っている。完璧なサーブのフォームを習得したり、トップスピンの回転原理を体得したりする過程は、身体感覚という「暗黙知」を、反復可能で最適化された「形式知」へと変換していく作業そのものである。

重要なのは、私が『スポ根』に惹かれているのは「チームのために頑張らねばならない」といった社会的圧力や道徳的義務感に対してではないということだ。むしろ、そのシステムの「物理法則」—身体運動、戦略、自己成長の美しく自己完結した論理そのもの—に魅了されているのである。

第3章:フロー体験という架け橋 - 主観と客観の乖離

「努力」という錯覚

なぜ過酷な練習が「熱血」や「根性」といった苦役として感じられないのか。その答えは、心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した「フロー理論」によって説明される。

フロー状態とは、「時間が経つのを忘れるほど作業に没頭し、他のことが気にならなくなるような状態」だ。この状態に入るためには、明確な目標、即時的なフィードバック、そして挑戦レベルと自己のスキルレベルの絶妙なバランスが必要とされる。テニスは、これらの条件を理想的に満たしている。

最も重要なのは、フロー状態における「努力」の知覚の変化である。「頑張っている自分」をモニターする自己意識が消失するため、「努力している」という感覚そのものが消え去る。意識は疲労や苦痛ではなく、ボールの軌道やラケットの感触、相手の動きといった、課題遂行に直接関連する情報のみに集中する。

主観と客観の美しい乖離

外部の観察者には、汗を流し、歯を食いしばる「熱血」的な『スポ根』的姿が映るかもしれない。しかし、私の内的な体験は、苦痛を乗り越える「努力」ではなく、滑らかで抵抗のない「没入」なのである。

観点 客観的観察(スポ根的努力) 主観的体験(フロー的没入)
意識の対象 苦痛、疲労、目標達成への義務感 活動そのもの、ボールの軌道、身体感覚
自己認識 「頑張っている自分」を強く意識 自意識の消失(忘我)
時間感覚 長く、忍耐を要するものとして感じる 時間の経過を忘れる
活動の動機 勝利、他者からの承認(外的報酬) 活動自体から得られる楽しさ(内的報酬)

この主観と客観の乖離こそが、矛盾に見えた現象の正体である。

第4章:弁証法的統合 - 矛盾を超えた高次の世界観

止揚アウフヘーベン)という概念

浮浪雲』と『スポ根』という一見対立する要素を統合するための鍵は、ヘーゲル哲学における「止揚アウフヘーベン)」という概念にある。

止揚とは、対立する二つの要素を単に妥協させるのではなく、両者の本質を保存しながら、より高次の段階で統合することを意味する。蕾が花になり、さらに果実へと発展するように、果実は蕾でも花でもないが、その両方の本質を含んでいる。

私の弁証法的構造

テーゼ(正):『浮浪雲』的アイデンティティ 絶対的な自律性の原理。内的な「意味」に基づいて自らの航路を自由に選択する生き方。

アンチテーゼ(反):『スポ根』的エンゲージメント 自ら選択した構造化されたシステム(テニス)の内部で、熟達を目指して深く没入する原理。

ジンテーゼ(合):統合された新しいアイデンティティ 「自律的存在者が、その自由を行使して意図的に構造化された世界を選択し、その世界の中でフロー(没入)を通じて熟達と意味を追求する、自由な創造者」

矛盾の完全な解消

この統合において、矛盾は完全に解消される。

浮浪雲』的な「自由」は保存される。なぜなら、テニスは外部から強制されたものではなく、自らの意思で選択されたものだから。

『スポ根』的な「献身」も保存される。なぜなら、一度そのシステムを選択した以上、そのルールと要求に完全に従い、没入するから。

そして、両者の「対立」は廃棄される。自由はもはや目的のない漂泊ではなくなり、構造はもはや自由を縛る檻ではなくなる。むしろ、「自由とは、没入すべき構造を選択する行為」となり、「構造とは、自由が具体的な形をとって表現されるための舞台」となる。

第5章:実践としての生き方 - 意味の庭を耕す求道者

私という人間との付き合い方

この弁証法的な理解を踏まえて、私という人間をより深く理解していただくためのガイドを示したい。

理解していただきたいポイント:

  • 一見矛盾して見える行動にも、内的な一貫性がある
  • 自由と構造は対立するものではなく、相互補完的な関係にある
  • 「意味」を感じられる領域では、驚くほどの集中力と情熱を発揮する
  • 外部から押し付けられた枠組みと、自ら選択した枠組みでは、全く異なる反応を示す

効果的なアプローチ:

  • 選択の自由を保障した上で、挑戦的な構造を提示する
  • 活動の意味や価値を共有することから始める
  • 細かい管理よりも、自律的な探求を支援する環境づくり
  • フロー状態に入りやすい条件(明確な目標、即時フィードバック、適切な難易度)を整える

成長のメカニズム

この弁証法的発展は一度きりの出来事ではなく、生涯にわたる成長の基本戦略となる。

  1. 自律的に意味ある領域を見出す(テーゼ)
  2. その構造にフロー状態で没入する(アンチテーゼ)
  3. 新たな熟達とより発展した自己を獲得する(ジンテーゼ

このサイクルこそが、私の「自己錬成型キャリア戦略」の本質である。テニスにおける体験は、この根源的な成長メカニズムを映し出す鮮明な縮図なのだ。

終章:意味に忠実な航海者として

統合された世界観

当初「矛盾」として提示された『浮浪雲』と『スポ根』の共存は、実は矛盾ではなく、洗練された自己創造のプロセスだった。二つの要素は人格内で争う敵対勢力ではなく、一つの優雅な舞踏における二つの不可欠な動き—「選択」と「没入」—なのである。

私は、社会の風に流される『浮浪雲』ではなく、自らが耕すべき土地を自ら選ぶ「主権者」である。そして、その選んだ土地においては、無目的に汗を流す精神主義者ではなく、技術の習得とプロセスの探求そのものに喜びを見出す「職人」となる。

炎天下のテニスコートは、苦役の場ではない。それは、自らが選び、深い集中と喜びをもって耕すことを決めた「意味の庭」なのである。

私の本質

最終的に、私という人間の本質は、自己分析レポートの結論にある言葉に集約される:

「自分の意味を、自分のやり方で、丁寧に実装する人」

誰よりも"意味"に忠実であり、誰よりも"自由"にこだわりながら、東洋の賢人と現代の実践者の両方から学び、そこで見出した真理を、自分なりの「ものづくり」とコミュニティ形成を通して、現代に静かに、しかし力強く実装し続けていく。

この内なるダイナミズムは、理解され、受容されることで、混乱の源から最大の強みへと転化する。それは、自律的な自己に忠実であり続けながら、同時に現実世界において具体的な卓越性を達成することを可能にする強力なエンジンなのだ。

一見して逆説的に見えるものこそが、実は私自身を前進させる道筋そのものである。この矛盾こそが、私の道なのである。


補足:この理解に至るまでの対話の軌跡

この記事は、GoogleのGeminiとの二つの対話から生まれた。

第一の対話:思想的基盤の発見 「頑張る姿への違和感」から始まり、美意識の探求、東洋哲学への深化を経て、自身の思想的背景の全体像を把握した。

第二の対話:矛盾の解消浮浪雲』的価値観を持ちながらテニスに没頭する自分への困惑から、フロー理論と弁証法によって矛盾を止揚し、統合された世界観を獲得した。

これらの対話を通じて、断片的だった自己理解が、一つの一貫した思想的ポートレートとして結晶化したのである。

Tags: #東洋思想 #老荘思想 #フロー理論 #弁証法 #自律型創造者

 

私の思想を形作った本たち ~「個」の創造性が社会を変える未来への問い~

私の思想を形作った本たち ―「個」の創造性が社会を変える未来への問い

長年、私は多くの本と対話し、そこから得た言葉の断片を紡ぎ合わせることで、自らの思考の基盤を築いてきました。振り返ってみると、私が探求し続けているのは「情熱を持った『個』の創造性が、共感で繋がり、未来の社会を形作るのではないか」という問いです。

それは、巨大な組織や画一的なマニュアルが支配する世界とは異なります。一人ひとりの顔が見えるコミュニティで、作り手と使い手が一体となり、新しい価値を共に育んでいく世界への想いです。

この記事では、私の考え方の柱となっている思想を、私を導いてくれた本からの言葉を交えながらご紹介したいと思います。

1. 「ものづくり」への問い直し ― 心と五感が宿る価値創造とは

私の哲学の原点にあるのは、単なる製造業ではない、精神性を宿した「ものづくり」への深い関心です。現代社会は効率を追求するあまり、もしかすると大切なものを見失ってはいないでしょうか。

経営コンサルタント野村進氏が老舗企業への取材で耳にした次の言葉は、私の心に深く響きました。

いまはもう世の中全部マニュアル、マニュアルでしょう。五感でしかわからない世界をなくそうとしているのは、非常に危険だと思うんですよね。

野村進「千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン」より

この言葉を読みながら、真の価値とは、言葉や数値では表現しきれない部分に宿るのかもしれないと考えています。SONYの創業者である盛田昭夫氏もまた、イノベーションの本質について示唆深い言葉を残しています。

創造性はすでに存在する情報の処理や分析から出てくるものではない。それは人間の思考、絶え間ない洞察力、そして多くの勇気を必要とする

SONY盛田昭夫「MADE IN JAPAN」より

結局のところ、新しい価値とは「つくりたい」という個人の強い情熱から生まれるのではないでしょうか。それは、F・アーンスト・シューマッハーが提唱した「大量生産ではなくて大衆による生産」という概念にも繋がっているように思います。

これからの時代は、誰もが作り手になれる「マイクロモノづくり」の時代なのかもしれません。そう考えると、私たちは今、どのような「ものづくり」を選択しようとしているのでしょうか。

2. 経営とは「関係性」の構築なのではないか

企業のあり方や働き方についても、根本から見直す時期に来ているように感じています。利益や効率だけを追い求める経営は、やがて人間性を摩耗させ、持続可能性を失うのではないでしょうか。

私が関心を持っているのは、関わる人すべてが幸せになるような経営のあり方です。オムロン創業者の立石一真氏の言葉は、シンプルでありながら深い真理を語っているように思います。

人を幸せにする人が幸せになる

立石一真「「できません」と云うな」より

このシンプルな言葉こそ、ビジネスの究極的な目標なのかもしれません。そのためには、顧客を単なる「買い手」として見るのではなく、生涯を共にするパートナーとして捉える視点が必要ではないでしょうか。

自分は「車を売る」のではなく**「顧客と生涯付き合う」ことが仕事であり、だから顧客を徹底的にフォローする**のだ。

小阪裕司「お客さまの「特別」になる方法」より

さらに、その視点は未来へと向けられる必要があるのかもしれません。パタゴニアの経営哲学にあるイロコイ族の教えは、すべての意思決定者に問いかけているように感じます。

イロコイ族は、意思決定の過程において七世代先の子孫のことを常に考慮する

「社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論」より

社員を管理の対象ではなく、自立したパートナーとして信頼し、顧客や社会、そして未来の世代との「関係性」を築いていくこと。これが、私たちが探求すべき経営の姿なのではないでしょうか。

3. 小さなコミュニティが未来を動かすという可能性

新しい価値創造や人間的な経営は、巨大な中央集権組織の中から生まれることは少ないように思います。むしろ、顔の見える小さなコミュニティこそが、未来を動かすエンジンとなるのかもしれません。

ファブラボは、「つくる人」と「使う人」の極端な分断を修正しようとする活動である

田中浩也「FabLife」より

テクノロジーは、私たちを孤立させるためではなく、再び繋げるためにあるのではないでしょうか。思想家の中沢新一氏が指摘するように、現代の経済活動はあまりにドライな「交換」に偏りすぎているように感じます。

交換は分離し、贈与は結びつける

中沢新一カイエ・ソバージュ」より

お金のやり取りだけでは、真のコミュニティは生まれないのかもしれません。「みんなにとってどんな価値があるだろうか」を考え、知識や情熱を惜しみなく与え合う「贈与」の関係性こそが、人々を強く結びつけ、新しいものを生み出す土壌となるのではないでしょうか。

それは、個人の活動が「マイクロ起業」となり、誰もが価値創造の主役になれる時代の到来を意味しているのかもしれません。

おわりに ― 問いの向こうに見えるもの

私がこれらの本から学んでいるのは、技術やノウハウ以上に、「あり方」としての哲学なのかもしれません。

それは、人間本来の創造性や共感する力を信じ、顔の見える関係性の中で新しい価値を育んでいくという、きわめて人間的なアプローチへの探求です。

これらの問いかけが、皆さんの働き方や生き方を考える上での一つのきっかけになれば嬉しく思います。

私たちは今、どのような未来を選択しようとしているのでしょうか。そして、その未来に向けて、一歩ずつでも歩んでいくことができるでしょうか。


参考文献

(私の思想形成に影響を与えた全書籍リストより)

tablacus exolorerでドラッグアンドドロップできなくなる問題が解決

備忘録として記録する。

 

ある日、tablacus exolorerでドラッグアンドドロップできなくなった。

いろいろ試して、だめだったので、XYplorerに乗り換えようかと、数日使ってた。

たまたま、ChatGPTのDeepResearchすごいらしいと、FBのタイムラインで見かけて、今起きてるトラブルシューティングを聞いてみたら、実行ファイルのプロパティいじってみたらとかなんとか、回答が得られて、そういや試してなかった、と思っていろいろいじったら、無事解決した。

 

症状について

使用状況

windows11がOSで、グラボがRTC3070のPCで、4台のマルチディスプレイで使用していた。

メインモニター(JAPANNEXT 31.5型 4Kモニター JN-V315UHDR-C65W)ではドラッグアンドドロップできるけど、富士通VL-P27T-7縦置きではできなくなったという問題発生。

ディスプレイはDPケーブル接続。

 

試したこと

メインモニターのウィンドウで使い続けようかと思ったけど、メイン作業してると、隠れちゃうので、なんだかなぁ、という思いになってしまった。

代替手段で、XYplorerは使えたけど、操作性が違うので、しっくりこない。

メインモニタの、ディスプレイ設定で、拡大率150%(推奨)だったけど、100%にしたら、使えるようになったけど、メインモニターのテキストが小さくて見づらいので、もう無理かと思ったら、実行ファイルのプロパティいじったらというアドバイスを、DeepResearchで得られて試したら、うまくいったとさ。回答自体は別のこと回答してたけど、実行ファイルのプロパティの互換性タブをいじったらという示唆が得られてうまくいったので、結果オーライ 笑。

 

実行ファイルのプロパティの互換性タブに入って、高DPI設定の変更に入り、プログラムDPIにチェックを入れ、高DPIスケールの動作を上書きにもチェックいれる

これで、tablacus exolorer再起動したら、無事にドラッグアンドドロップできるようになった。嬉しい。



実は、いわゆるDeepResearch違いのようでした。 笑

 

技術と技能

2008年にこんな投稿をしてた

wooty.hatenadiary.org

 

ライトな内容でつぶやいてた

 

30年ぐらい前にスズキで働いてた頃に、デンソーの方の記事を読んだことをふと思い出した

大昔に読んだのでどういうものか忘れたけど、ネットでこんな資料を見つけた。近いニュアンスだったように覚えてる

https://www.tetras.uitec.jeed.go.jp/files/data/201402/20140205/20140205.pdf

 

ざっくりいうと、技術と技能がモノづくりの両輪ということで、形式知としての技術と暗黙知としての技能というふうに認識してた

 

ある程度知識化できて、再現性のあるような領域が技術で、技能は暗黙知であり、再現性には身体作業を伴うトレーニングが必要だし、同じトレーニングをこなしても人によってバラツキがあるものと思う

 

多くの町工場さんと関わってると、双方を明確に理解して使いこなしてるところは少ないような気がする

技能を持ってるところの割合が多くて技術に落とし込んで再現性のある技術者育成ができているところは少なかったように思う

これどっちが優れているとかということではなく両輪なので片方だけではある程度のところまでは到達できるけれど、そこを突破してその先にたどり着くことは難しいと言える

昔インクスさんの本を読んだ時に、金型職人さんの感覚をエンジニアをヒアリングして、数値に落とし込んでデータベース化してそれを元に機械操作の反映させて、無理と思われていた短納期を実現したようなことが書いてあった

職人さんの優れた技能があってプラスエンジニアによる技術への落とし込みがあって限界を突破できたのだろうと推測する

昨今のAIの進化においても人間の作業がAIに代替されていくというのも、技能が技術に移転されていくことと同様のことだと思う

技能を担う領域の存在が、むしろAIにどんどん今できていることを代替させて、その先を目指してトレーニングする、そういう姿が理想的なのだろうけど、そういうことに取り組める人ってかなり少数で、仕事として給料と引き換えにしてる限り、限界はあると思う

経済合理性ではありえないけれど、突き詰めることが好きで仕方がないようなごく一部の人がやばい職人としてAIを選考し続けていくのだろうと想像する

技術屋さんはますます暗黙知の技術化にチャンレンジしていく部分で、AIの進化ってすごく役立つ気がする

でも現時点での究極の技能に迫るとしてもそこを追い越すことがまだまだ難しいのかなと思う

ただ、最終製品を世の中に出すメーカー経営者からすると、そこまでの技術が必要なのだろうか、という経済合理性に根ざした考えが合理的判断だろうと思う

しかし10年後とかのその先をめざして企業の持続的成長のためには、基礎的な部分は外せないはずだけど、4半期ベースの決算だと数値的に経営に寄与してないという判断をしてしまう企業も多いのかなと思う

一エンジニア的には没頭して追求したいけど昨今の労働環境的にブラックに当たるので残業せずに帰らざるを得ないだろう

個人的に趣味で突っ込むしかないのかもしれない

ムダと言われることに時間を費やすというのが趣味だろうし、その先に代替の効かない価値があるのかもしれない

 

知らんけど……

改めてマイクロモノづくりについて振り返る

 

今から10年前、2013年にこの本を出した。

ご縁があってすばらしい編集者さんのおかげで世に出すことができた。

タイミング的に「MAKERS」という本が出た時期だけど、世間的にはメーカーズムーブメントが起きて、マイクロモノづくりムーブメントは起きなかった。

とはいえ、地道に仲間を集めて、少しずつだけど、日本の町工場さんが自社製品を生み出すことが増えていったと思う。

先日ひさしぶりに、藤沢で町工場NIGHTというイベントが有って顔を出して、現在日本の町工場の自社製品開発を牽引している、おやっさんこと栗原会長とも久しぶりにお話をすることができ、また3代目社長の方々の自社製品開発のお話を伺うことができ、時代の変化を感じてしまった。

町工場関係者ではなく、全く関係のない一般の方々に町工場ファンがけっこう増えてきているらしいという。そういう方々がいることで潜在的な町工場が生み出す製品を購買する一定の存在があり、昔以上に自社製品を行いそこそこの売上が見込めるというのは大きいと思う。

かつては自社製品を生み出すとしても、ものは割とすぐに生み出せるけれど、売るところで躓くことが多かった。今もマーケティングを継続的にしないと売れないのは同じだけど、町工場ファンと言う存在があることが後押ししてくれるのはすごく励みになると思う。

最初は小さく自分たちで企画して自分たちで作り出して自分たちで売っていく、マイクロモノづくりをもっともっと実践して行ってほしいと思う。

そして、なにかしら悩んだり不安になったりすることがあれば、ぜひ相談してください。

と、最後は営業です 笑

 

こういうことやってるので、お問い合わせくださいね。

お問い合わせは無料ですのでお気軽にどうぞ。その先のディープなところは有料ですので、ご了承ください。

 

www.enmono.jp

3Dものづくり

いま、本業のzenschoolをVRの中で提供している。

https://zenschool.jp/vr

自画自賛だけどすごいことだな、と思う。

テクノロジー的には、3DCGの処理を、あのVRゴーグルの中でスタンドアローンで行っているということだと思う。

3DCGということで、3D技術について思い出したことなど、だらだら綴ってみたい。

 

その昔、スズキという自動車メーカーにいた。

入社半年は新入社員研修で工場実習でラインに入ったり、営業研修で地元のSBS(スズキ直営のバイクショップ)で働いたりしていた。

半年ぐらいで、配属されたのは生産技術という部署。

生産技術って何するの?って感じでポカンとしたことを覚えてる。

 

ざっくりいうと自動車を作るための設備を企画導入するお仕事かな。

1日400台ぐらい自動車を生産するために工程を設計しその工程に必要な設備を予算内で導入する、みたいなこと。

 

だから最初はとりあえず現場行っとけってな感じで、丸一日工場に張り付いて設備と作業者が何してるか観察していた。

新人だから観察といっても何もわからないけどね。

 

自動車の機種が新しくなるたびに、設備の変更を大掛かりでしなくてはならないので、設備が止まる長期連休に入れ替え工事をする。

そこに立ち会って現場を仕切るのが生産技術のお仕事なので、長期連休に休めないということになる。

でもその分代休が出て、あまり混まない時期にお休みできるところが、実は気に入ってたりした。

 

無事に設備が稼働すると、次の機種変更に向けて仕事するのだけれど、終わったばかりは少し時間ができたりする。

その空き時間に、なんか興味を持ったCADというシステムをいじってみた、というのが3Dとの出会いだった。

 

職場には、社内製CADの、SCAD、CADEMと、IBMのCATIAというのがあった。

で、生産技術の先輩たちは、SCAD、CADEMを使ってたので、端末はあまり空いてなくて、でもCATIAは使う人がいなくて割といつも空いていた。

だから、CATIAを使ってみようといじりはじめた。

でもマニュアルは設計向けに社内で翻訳されたものと、大元の英語のものしかなくて、設計者じゃない自分には、日本語訳のマニュアルではあまり使えなくて、仕方なく英語のマニュアル片手にCATIAを使いはじめた。

 

それが1989年か1990年ぐらいかな。もう30年ぐらい前だな。

 

流れは、最初3D空間上に点を作り、点と点を結んで線を作り、線と線を結んで面を作り、面と面から立体を作り、みたいな感じ。

 

最近のポリゴンCADみたいに、ざっくり立体作って組み合わせて削ってなんてできなかった。

 

だから直感的に触ってればできるなんてことなくて、マニュアル通りに作っていく必要があって、大変だったけどなんか面白かった。

 

生技が3DCAD使うニーズって、ワーク(部品)を受ける治具を作るときに、その受ける面が曲面だった場合、2次元の設計図では寸法が出せない事があって、設計が作った3Dモデルから、治具で受ける受け面の寸法を計算するときに使ってた。

治具で受ける辺りの3DCADの中の曲面と、治具で受けるあたりの断面データを作ってその寸法を計算するみたいなことに使ってた。

 

まあでも生技で3DCAD使うシチュエーションはあまりなくて、CATIA使いこなせても仕事がそれほどない状況ではあったなぁ。

 

その後、工機部に移って5面加工機のNCデータを作るという仕事をするようになった。

その仕事は、CATIAで動くCAMを使ってデータ作成するというものだったので、CATIAを使うことが仕事になった。

5面加工機ってワークの5方向の加工を段取り替えせずにできる機械だったので、加工データを作るときは、5方向から加工するようなデータが必要になり、CAMがデータ作成に用いられていた。

あまり複雑ではない加工データならば、直接加工データを手で打ち込んだほうが早いけれど、それだと機械が止まってしまうので、外段取りしようというのが目的だったようだ。

 

でも2000年問題があってCATIAが使えなくなる可能性も出てきたので、PCで使える3DCAMと3DCAD導入が必要になって、その選定をして実際に導入したのが、次のステップ。

 

いまみたいにインターネット上にほとんど情報はなくて、当然GOOGLEもないし、ツールエンジニアリングとか日経デジタルエンジニアリングのような専門誌を読んで、情報を集めていた。

 

でも3DCAMってほとんどなくて、TEBISとかHYPERMILとかESPRITとか、全部海外製のCAMばかり。

 

で、予算とか機能から絞り込んで導入したのが、ESPRITだった。

でもCAMにほとんど予算使ってしまったので、CADは、SoliEdge Originという無料配布されていた3DCADになってしまった。

でもかなりのことができたので、当面はこのCADでモデリングして、ESPRITでデータ作成するということで、仕事ができた。

この、SolidEdgeってCATIAと違って、今でも使われてるCADと同じく、パラメトリックでフィーチャーベースで、ポリゴンを作っていけるCADだった。

まったく以前のCADと使い勝手やモデリングの概念が違ってて、自分的にはとても使いやすかったけれど、それは先入観がなかったからかもという気がしていた。

社内製CADとか使ってる人たちは見向きもしなかったしね。

 

点を作って線を作って面を作って立体を作って、という手順でずっと長年モデリングしてきた人からすると、異次元なのだろうと思う。

 

いきなり、寸法も適当にポリゴン作って適当に組み合わせフィーチャー作っていって、あとで組み合わせ順変えたり、寸法変えたりできるから、むしろ自分のような素人の方が馴染みやすい。

 

使っていくと、3DCADで何でもモデリングしていけば、工場の設備レイアウトにも使えるな、というふうにも考えるようになって、妄想が膨らんでいったのを思い出す。

 

20年ぐらい前だから妄想でしかなかったけど、今はVRやMRなどでどんどん実現できているから、ほんとすごいなと思う。

 

逆に今妄想してることも20年もしたら現実になるんだなと思うと、ますます妄想が広がっていく。

 

 

まったく技術とか製造業とかとかけ離れた人たちが試行錯誤しながらVR使ってるのをfacebookのタイムラインで見かけると妄想が膨らむ。

 

最近、enmonoがものづくりとかってあまり言わなくなったのは、妄想をもっと膨らませる方向に一層シフトしているからだと思う。

 

なので、もっともっと技術とは縁遠い分野の方々と交流していきたいな、と思う。

 

そのほうが、実は技術の活かしどころが増えるという確信がある。

PC自作① core i7 3770 → Ryzen5 3500

2013年から使ってた、Gateway(DX4870-F78F)のPCがそろそろ性能的に不足してきたので、新たなPC導入を模索していた。

普通使ってる分には、まだまだ十分な性能だし、たまにFHDの動画編集するときがフル回転でCPU100%でファンもうるさく回り頑張ってる感を出していたのも、それほど嫌いではなかった。

ただ、VRに関心が出てきて、そのためのコンテンツ作りなども考えると、流石に荷が重いなと想像できるので、PCのアップグレードを検討しだした。

自粛期間ということもあり時間があったので色々と調べて、自作することにした。

心臓部のCPUはコストパフォーマンスが高い、Ryzen5 3500に決めて、あとは予算を勘案しながらパーツ選びを進める。

けっこうこのプロセスがなかなか楽しい。性能に応じて価格も上がるから、自分が望む事ができそなギリギリを探りながらメルカリや、ヤフオクドスパラじゃんぱらなどを日々眺めて物色していた。

そして、GWに入ったあたりで、出物のケースをメルカリでゲットしてしまった。

ATXサイズでHDDをたっぷり内蔵できるものを探していて、Fractal Design DEFINE R5を購入。

流石にでかいけど、中が広々として作業しやすそうだし、増設もたっぷりできる。

順次パーツを揃えて、GW中に組み上げてしまった。

 

パーツ

いざCPUをマザーボードに取り付けようと思ったら、CPUファンを取り付けるためのバックプレートが、中古で購入したマザーボードに付属してなかったので、急遽購入してなんとか取り付ける。他のパーツはただ組み込んでいけばいいので、割と簡単に進んだ。

HDDは手持ちが7台あったけど、マザーボードSATA端子が6個しかなくて、1台は外付けのままになる。まあ、あとでSATA増設ボードを購入することにする。

OSは前のPCからSDDを移設したら、特になんの設定もなく、ポンと新しいPCでも立ち上がった。あっけなくて驚いた。いろいろ設定面倒そうと身構えてたけど、あっさり。

いろいろとベンチマーク取ったり、動画エンコードしてみたりして、性能の大幅向上を堪能する。

いいもんだ。