UCCHAN-BLOG

株式会社enmono技術担当取締役で自社製品開発講座「zenschool」やってる人。モノづくりと禅に関係性がありそうと言うような感性をお持ちの方とは仲良くできるかもしれないです。論理的ではないと忌避感をお持ちの方とは話が噛み合わない気がします 笑

最初に世のデザイナーさんへ謝っておきます。
デザイナーでもなんでもないただの人が勝手な解釈で、デザインについて思ったことを適当に書き連ねたもんです。


自分の勝手な解釈では、デザインされたもんってわかりやすくなってる気がする。
いいものか悪いものか。
だから、デザインの力で騙されるということも多々あって、これはデザインの悪用なんじゃないだろうか。
ものばかりじゃなくいろんなシーンで出くわす。
駅の案内や、機械の操作やお家のレイアウトや衣服など、すべてがそうなのかな。
デザインされてなさそうでわかりやすいものって、一番デザイン能力が高いんじゃなかろうかって思ふ。


わかりやすくっていうことは、受け手に対して伝わりやすくしているってことで、コミュニケーションのとり方がうまいってことなのかな。てことは、人間心理を理解しようとしてるのだろうし、マーケティングもデザインといえるのかなぁ。
すべての仕事は、デザイン的であるというと極論かもしれないけれど、人と関わらない仕事ってないから、デザインの要素が多々あるように感じる。


仕事してないようなのが一番仕事してるのかなと最近特に思う。
デザインされてまっせと言われると、逆に興ざめしたりして。
あらためて考えると、目に見えるところではないところなのかな。
第六感まで含めると、視覚は1/6だから、他の5つの感覚に訴えかけるデザインもされてるんだろう。
体で感じることって目で感じる以上のものがあって、それら全てというと、デザイナーって大変なお仕事なんだな、と改めて思ふ。俺には無理。


自然の造形なんて、素晴らしすぎるデザインかもしれない。人間の営みは追い求めても一生追いつけない。
だから日々精進する。
美しいというのは、美しくしようとしていないのだろうし。でも美しい。
醸しだすものって、それもデザインされてるというのだろうか。
よくわからない。


不器用で絵もかけないし、造形も出来なかったりする人間が、デザインを語っても良いのかと思うけれど、使ったり触れたりする目線で、そう感じるのは事実だし、いいと悪いは瞬時に見分けられる。
主観的で客観的ではないものかもしれないけれど、なんとなくある。