UCCHAN-BLOG

株式会社enmono技術担当取締役で自社製品開発講座「zenschool」やってる人。モノづくりと禅に関係性がありそうと言うような感性をお持ちの方とは仲良くできるかもしれないです。論理的ではないと忌避感をお持ちの方とは話が噛み合わない気がします 笑

http://homepage2.nifty.com/aikido/starthp/subpage02.html
「守・破・離」は、お茶の世界の言葉が、武道など日本文化の修業の課程を示す言葉として一般化したものである。
「師弟関係」があり、「型」により業(技)を伝承・伝達、弟子教育を行う「道」の付く日本の文武二道の文化・芸術の修業(修行)段階や技の程度や順序を示す言葉として、守破離はよく使われている。
簡単に言えば、先ず良き師を探し求め、縁と恩により出会い、入門を許されたならば、まず師の「型」の真似・学習から始め、それを身に付け、考え、研鑽し、最終的には自分自身の「型」を身につけよと云う事とである。その結果として新たなる「技(型)」が完成、創造され、技は永久に伝えられ、道となる。  
第一段階である「守」は、基礎・基本【建築で云えば土台・骨組み】である。師の教えである「型」を守る、学ぶ時期である。疑う事無く、一心不乱、誠心誠意、ただひたすら師・先輩等の教えを守り、真似て真似て、学んで学んで、型の反復練磨により身に付ける時である。学べる喜び、成長がはっきり見える時期である。この最初の、学習・学びの段階が「守」である。
第二段階である「破」は、変化・応用【建築で云えば上物・外構】である。学んでいる師・先輩等の教えである、型【技術】を深め、広げる時期である。身に付けたと思い、慢心、過信で小さく纏まった自己の型、悪癖を破り壊し、再構築する時である。大きく成長、発展する為に、技を完全に身に付ける為に、未熟な自己の型を打ち破る為に、研究・変革の段階が「破」である。
その為には、初心に帰り自らの学ぶ姿勢を反省し、素直に、謙虚に、自分なりに考え、思考錯誤を繰り返す時である。自分以外の優れたものを認める素直さが必要であり、謙虚に良いものに気付き、学ぶ精神、行動が必要な時である。「かた(型)」に、「ち(血)」を通わせ、命を与えることにより「かたち(形)」となり、技が見えて来る時期でもある。
第三段階である「離」は、自由・創造、在りのまま【建築で云えば、完成・次の建物へ】である。師の教えを素直に行う、出来る時期であり、「型」が身に付き「技」へと昇華、完成される時機である。人が箸、茶碗を使う様に、型を意識する事無く、忘れ、離れて、心技体一如となり、自由自在に出来る時である。その結果、独自の世界、その人自身の「技」が、自然に創出される。この段階が「離」である。
以上のとおり、守破離の訓えは、自己の勝手な判断により、師の教えを守り、破り、離れる分派・分裂の訓えでは無い。判断するのは師であり、周りである。自身は何処までも何所までも師の教え、師の求めたるものの求道、探求を通じて、技と共に人間として成長していく修行の過程であり、悟りへの道である。其の過程を示す指標として守破離がある。

製造現場においてもこの「守破離」というコトは当てはまります。
最終的にはただ一心不乱に教えを守るだけでは無いと言うことになります。
心技体一如となり、自由自在に出来る時である、という言葉を心に留めておきたいです。