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ものを購入するとき、サービスを受けるとき、お金を支払う。
しかし、対価として考えた時、そのお金と同等の価値を受け取っているはずである。
モノを買う場合、モノの販売価格はざっくり次のような構成になってると思ふ。
原材料費+加工費+加工マージン+販売管理費+運搬費+支払手数料+販売機会損失想定積み上げ金+倉庫費用+etc
そのモノのほんとに欲しい価値は何なのだろう。
機能、持つ喜び、いろいろなことに価値を感じてお金を払うのだと思う。
モノを買うこと考えると、モノを大切にするだろうし、無駄な出費も少なくなる。
しかし無駄な出費と思われることでも、その裏側では、ちゃんとしたサービスを提供している。
そのちゃんとしたサービスを必要と感じてお金を払っているかどうかを、支払う側が理解できているかだと思ふ。
自給自足の場合、原材料費だけは支払うけれど、他の項目はお金を支払わない。
テクノロジーが高度に進み、大昔とは違う形の自給自足ができるようになってるように感じる。
自分で作る部分を担うことで、お金が出ていかないだけではなく、作ることや流通コスト、中間管理マージンの価値を再認識できるのではないだろうか。
再認識することで、あらためて、その費用負担は止むなしと考えられるならば、中間搾取とそうではないことの見極めができるようになって、皆にとってハッピーになる。
enmonoが主張している、マイクロモノづくりでは、企画から製造販売までを小さな規模(自分一人)でやるという意味で、自給自足に近いことであり、モノやサービスを提供されるすべてのプロセスを一度自分自身ですべて体験してみるという意味合いがある。
すべてのプロセスを理解した上で、役割分担の重要性を再認識し、チーム編成を考えなおす、そういったことを体得する機会を持ちましょうというテーマにある。