UCCHAN-BLOG

株式会社enmono技術担当取締役で自社製品開発講座「zenschool」やってる人。モノづくりと禅に関係性がありそうと言うような感性をお持ちの方とは仲良くできるかもしれないです。論理的ではないと忌避感をお持ちの方とは話が噛み合わない気がします 笑

読了
マイクロモノづくりの根幹にシンクロする。
職業分化の問題。
職業に閉じられて、全人間として生きていないのではという指摘。
芸術というのは全人間的なもの。
マイクロモノづくりは、そういう意味においては芸術なのかもしれない。
本当にやりたいことに目覚め、燃え上がることが重要!


気になるキーワードを引用
・財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。
・小さな存在こそ世界をおおうのだ。
・"他人"を発見するということは、結局"自己"の発見なのだ。
・人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。
・"芸術は爆発だ"
・生きる−それは本来、無目的で非合理だ。
・造形は明らかにコミュニケーション・メディアである。
・つまり手づくり、手で作るというのは、実は手先ではなく、心で作るのだ。


初の著書! - ucchan Jimdoページ

無駄ということ

無駄なことに打ち込むためにも無駄なことは止めたい (笑)
無駄というのは2種類あるのかなぁと。
自分にとっては有益だけど他人から見たら無駄に見える無駄と、自分にとっては無駄だけど世間的には有益に見える無駄。
後者を可能な限り遮断するとワクワクするムダ時間を過ごせるかと。

振り返ると自分はダメ人間なのだなぁとつくづく思う。
宿題しろとかテストとか遅刻とか規制をかけられるとどうもテンションが下がってしまう。
とやかく言われるとやる気がでないのである。
優等生には到底なれないダメ人間なのだ。
会社選びも自動車好きだし、バイク好きだし、観光好きだし、テレビとかも好きだしなど、ミーハー気分で選んでいたなぁ。
大人というには程遠いお子ちゃま。
仕事も納得行かないと嫌々やってしまうので、言われたこと以上はあまりしないようなダメリーマンだし、有給休暇も周りの空気も読まずに取っちゃうし、ホントにダメダメ人間。
だけど、テニスやスキーやバイクなど遊びにはまじめに取り組むし本気だし嫌々やってる奴は好きになれなかったし、これもまたわがままいっぱいのお子ちゃま。
そして今に至る。
未だにダメダメ人間なのだ。
周囲の皆さま、今後ともご容赦いただきたい。
ひたすら謝るしかないのだ。真面目な正論は吐けない、そんな大人でもないし、何かを教えるなんて器でもないし。
自分ができたことをお伝えする程度のことしか自分にはできない。
講座などと大それたことをやっているが、受講している人と一緒に学んでいるようなものであって、こうしろなんてことは言い切れない。
そんな無責任なダメ人間なのだと思う。


でもいつも面白いこと、ワクワクすることはしてるし、突拍子もない、とんでもないアイデアはいつも妄想している。
それがこれからの時代すごく重要なのではないかと、自画自賛しつつ考えている。
こんなダメ人間でも生きていけるような時代になってきたのかな。
それがいいのか悪いのかはわからない。
自分の気質はなかなか変えられない。
こういう気質と付き合って生きていくしかなくて、どうやってこのダメ人間がやってることに価値を感じてもらえるのか、それはよく考える。ただ一人でひたすら考える。
一人で考えて行動するから独創的なアイデアだったりするので、そこに価値を感じてもらえるのかもなどと思いながらひたすら直感を磨いている。
直感は感性を論理的に落とし込んで評価した結果磨かれるのだと思う。
感覚と論理双方の領域を行ったり来たりしつつ確度が上がる。
おいいそうな店を見分ける、鼻が効くのもたくさんの失敗の積み重ねであり、プロセスと結果の一致を無意識に都度行なっているのである。

MAKERS 21世紀の産業革命が始まる

MAKERS 21世紀の産業革命が始まる

発売されてすぐに一気に読み進めてしまった。
マイクロモノづくりを提唱して3年、ほぼ同じ文脈でエッセンスを語っている。
流通コストのこと、マーケティングのこと、資金調達のこと、作る以外のこともモノづくりでビジネスをして持続していくためには必要ということが語られている。
クリスさんの祖父が時計職人で、ご自身も手を動かしてモノづくりされているのが、この本で語られる内容に実感が伴う。
日本人とアメリカ人という文化の違いはあれど、モノづくりの解釈の変化を伝えてくれている。
アメリカも日本も製造業は衰退して、モノづくりはもう終わりなどという風潮がマスメディアから伝わってくるのは、同じようだけど、クリスさんはこの本で新たな可能性を実現しているさまざまな実例を交えて、語ってくれている。


サプライヤ側の企業もこの動きを見逃せない、というよりこのムーブメントに乗っかるべきと思ふ。


メモ
・僕らはみんな作り手(メイカーズ)だ。
産業革命は、なにより発明の革命だった。
・そんな起業家がよく口にするのは、まずコミュニティに役立つことがいちばんで、利益はその次でいいということだ。
・どんな場合でも、自分が骨を折ったものにはより高い金額を支払う。
・「メイカー」たちは、製品と同じくらい、それを作り出す過程に思い入れがある。
・つまり、費用が20ドルなら、小売価格は25ドルではなく、46ドルに設定しなければならない。
・こう考えると、パブリックなもの作りは、それ自体がマーケティングだ。
・買い手が製品を作る場合には、製造物責任と消費者保護の規制も緩和される。
・自分たちの製品をよくよく理解しなければ、どのデザインや製造業者を選んだらいいかさえわからない。


下請け中小のための自社製品開発セミナー

発電会議の時に無意識でつい口走ってたんだけど、アイデアって腹から取り出すのだと思ふ。
頭から取り出してるのってアイデアではないような気がしてしょうがない。
まあ、イメージの問題なので現実的には脳内で情報処理して取り出してるんだろうけど、腑に落ちるという言葉もあるように、ななとなくなんだけど、腹から取り出しているよう気がしている。
まあ、だから何?なんだけどね。


食いしん坊のせいかもしれないな。

エモロジー
こういう言葉を、co-baの山本さんが造語して表現した。
元は、三木さんが、FBに、「エモーショナル × テクノロジー」と投稿したのに、反応してのこと。


https://www.facebook.com/mikikouj/posts/541939152489618
引用>多分、鎌倉は、先端的なモノづくりを生み出す町になる気がする。これから、スゴイことが。。キーワードは、「テクノロジー」X「エモーショナル」。


ということを気にかけつつ、中沢新一さんのカイエ・ソバージュを読み始めると、
 >私たちは科学性と芸術性を調和させる方法を模索しつづけていますが、レヴィ=ストロースのなしとげた仕事の中に、私たちはこの科学性と芸術性の結合の、最もみごとな実現をみいだします。


という一節があって、すごくシンクロしてしまった。


古くて子どもじみたものと思われている神話の中に、エモロジーの概念が、数万年まえより紡がれていたのだと思うと、不思議な感じがする。


カイエ・ソバージュ

カイエ・ソバージュ

ものを購入するとき、サービスを受けるとき、お金を支払う。
しかし、対価として考えた時、そのお金と同等の価値を受け取っているはずである。


モノを買う場合、モノの販売価格はざっくり次のような構成になってると思ふ。
原材料費+加工費+加工マージン+販売管理費+運搬費+支払手数料+販売機会損失想定積み上げ金+倉庫費用+etc


そのモノのほんとに欲しい価値は何なのだろう。
機能、持つ喜び、いろいろなことに価値を感じてお金を払うのだと思う。
モノを買うこと考えると、モノを大切にするだろうし、無駄な出費も少なくなる。
しかし無駄な出費と思われることでも、その裏側では、ちゃんとしたサービスを提供している。
そのちゃんとしたサービスを必要と感じてお金を払っているかどうかを、支払う側が理解できているかだと思ふ。


自給自足の場合、原材料費だけは支払うけれど、他の項目はお金を支払わない。
テクノロジーが高度に進み、大昔とは違う形の自給自足ができるようになってるように感じる。
自分で作る部分を担うことで、お金が出ていかないだけではなく、作ることや流通コスト、中間管理マージンの価値を再認識できるのではないだろうか。
再認識することで、あらためて、その費用負担は止むなしと考えられるならば、中間搾取とそうではないことの見極めができるようになって、皆にとってハッピーになる。


enmonoが主張している、マイクロモノづくりでは、企画から製造販売までを小さな規模(自分一人)でやるという意味で、自給自足に近いことであり、モノやサービスを提供されるすべてのプロセスを一度自分自身ですべて体験してみるという意味合いがある。
すべてのプロセスを理解した上で、役割分担の重要性を再認識し、チーム編成を考えなおす、そういったことを体得する機会を持ちましょうというテーマにある。